「後悔の無い」生き方。ずっと、望んできた。
でも、時に人生は、人に“もどかしさ”や、“耐える時間”をくれる。
それは、一見、辛い期間のようで、それでいて案外、「より良い自分」へと育ててくれるものになったり、日々に「味わい深さ」をくれたり、その出来事が有った事で、《却って良い方向へ》進む事の出来る場合すらあり、そしてそれは、ある程度の時を経て ようやく分かる場合もある。
私も、これまでの時間の中で、それらを それなりに沢山 得て(神様から頂いて)きたと、振り返れば思う。
けれども、時経つうちに、“惜しいところで、中々先へ進めずにきた、人生”に、最近、再び 疲れを覚えはじめてきた。
ー10年ほど前、わたしは、人生を「思いっきり生きて」、「静かに穏やかに、人生を閉じよう」と、思っていた。 具体的な計画を、前向きに立てて。
だけども、突然頂いた“前向きな出来事”や、そのことに向き合っていく過程の中で、いつの間にか、当初の《計画》は、自然と足取りが崩れ、私は何故か なんとなく、「生きる」方向へ、向けられてしまった。
そして、その後も 幾つかの紆余曲折が有りながら、私は今も、「ここ」に、居る。
今まで、「生きて」きたこと。これからの、人生・・・。
感謝もしつつ、私は、今、改めて これからの「人生」を、考え始めている。
それを《余生》として捉えるには、年齢的には おそらくまだ 世間的には“早い”のだろう。
しかし、・・・わたしはもう、「疲れた」・・・・・・。
おそらくは、まだまだこの先 人生は続いてゆくのだろう。
しかし、私のこころは、再び、(10年前のように)、人生のリミットとゴールを仮に設定し、そこに向かっての「カウントダウン」を ー 悔いの無い、人生を 目指して ー 地面に足を着け考えたいと・・・願っている。
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